私たちのミッション
 「コミュニティビール」
       という考え方

水利に恵まれない所沢では、
昔から麦を中心にした食文化を花開かせてきました。

そんな所沢の麦文化を新たにビールとして蘇らせ、原料生産から消費までが地域内で完結する「地域内経済循環」を形成する。
そして、その環の中に人々を巻き込むことで、地域を協働と共感の輪で結ぶ”人つながりの輪”を創造していく。

それが、私たちが考える「コミュニティビール」です。

所沢の「問題」

中核都市から郊外、そして。。。

中世時代に街道町として形成された所沢は、明治・大正時代には蔵造りの商家が軒を連ね、綿織物をはじめとした農産品の集散地として賑わいました。
戦後、特に高度成長期以降は爆発的に人口が流入し、東京のベッドタウンとして大きく変貌しました。しかし、日本全体の人口や経済が縮小傾向を見せる昨今、所沢においては、これまでのあり方による弊害があらわになってきています。

歴史ある所沢の街並み

東京の衛星都市

現在、所沢市民の全就業者のうち、東京で働く人は4割近くにも上ります。東京で働く人が2割に満たないお隣の川越市と比較すと、その差は歴然です。このことが示すのは、もはや所沢が東京の単なる〝寝床〟だけでなく、経済的に東京に依存する「衛星都市」化している実態です。
東京で働く人の賃金等がもたらす税収や消費によって、所沢という街が成り立たっていると言っても過言ではありません。 それは、東京の景気の浮沈の影響をもろに受けるということであり、経済的自立性の乏しさを示していると言えるでしょう。

シティ・オブ・埼玉都民

「東京の衛星都市」という経済構造は、ある特殊なメンタリティを持つ市民を多く生み出しました。すなわち、住まいは所沢でも、社会生活や経済活動の軸足を東京に置く、いわゆる「埼玉都民」と呼ばれるあり方です。 こうした人々は、地元への関心は薄く、存在感も希薄です。しかし、前述したように、この人々が所沢市民のマジョリティであり、経済貢献力でも主役。このことが、所沢のコミュティづくりを一層難しいものにしています。

流入一世の高齢化

所沢の住民で現在、突出して構成比が高いのが、高度成長期以降に大挙住み着いた60代の「流入一世」。
住民の15%をも占めるこの世代が、この数年の間に、一気に高齢者の仲間入りをしています。流入1世の所得の増加と歩みをともにしてきた所沢では、定年退職等による、この世代の経済貢献力の低下が、より一層深刻な影響を与えています。この流れは今後10年でさらに加速し、加えて、その多くが今度は医療や介護に支えられる側へと移行していくでしょう。

所沢「問題」への処方せん

地域内経済循環

自立した経済的基盤の確立には、原料生産から消費までが地域内で完結する「地域内経済循環」を形成する必要があります。
その柱となる産業には、他の地域での代替不可能性、すなわち歴史や文化、風土を活かしたものであることが不可欠です。
所沢の場合、唯一、この条件に当てはまるのが農業。水利が悪く、本来畑作には向かない粘土質の関東ローム層がたい積する武蔵野台地で、長年手塩にかけて肥よくな農地を育ててきた先人たちの血と汗の結晶を、活かさない手はありません。 加えて、人口34万人もの巨大マーケットを抱える所沢においては、地域で売れる仕組みさえつくれば、自然と農業は元気になって行くはずです。

地のものブランドの創造

農産物が「地のもの」としてブランド力を持つには、地元の風土に対する住民の理解と愛着、そして作った人との顔の見える関係が不可欠です。
この二つを実現する着実な方法は、住民を畑に誘い出すことです。生産現場への参加によって、消費者にとって単なる「地のもの」が「自のもの」へと捉え直され、それにより地元の「食」への安心感が醸成されるのは当然のこと、地元農業への関心や理解、ひいては風土や環境への愛着へとつながっていくはずです。こうした生産現場への住民参加は、もう一度、地域社会に関わっていく意味を編み直すきっかけとなるはずです。

なぜ「ビール」なのか

麦文化ルネッサンス

所沢の名物と言えば、焼きだんごとうどん。焼きだんごはもともとは畑で育てる米、陸稲(おかぼ)で作られ、うどんは小麦。 ともに水に恵まれない風土から生まれたものでした。 麦を好むヒバリが市の鳥に選ばれたように、麦は所沢の食文化に欠かせない作物だったのです。 実は、つい数十年前まで、所沢でもビール麦が多く作られていました。このように所沢には、ビールをもうひとつの名物とする十分な歴史的背景があるのです。

参加できる物語

私たちの「物語」は、お客様である地域住民の参加なしには始まりません。それは、単に農作業をイベント化したというだけではありません。消費者参加型の生産は、機械化・大規模化なしにビール麦生産に農家が参入できる条件を整え、ひいてはビール原料のコスト削減にもつながります。すなわち、住民消費者は原料対価の一部を労働として支払うことで、求めやすい価格でビールを楽しむことができるということです。加えて、その代価として「安心」や「体験」を農家から得ることもできるわけです。 このように、農家と住民がつながることは、経済的意味を超えた、地域内の循環を創り出していくポイントとなります。

ビールは人をつなぐ

酒は常に人の間にあります。なかでもビールは、仲間同士賑やかに飲むもの。この事業が目指すものは、単なる地場産品の開発ではなく、人と人とのつながりを創ること。 当然、商品を介したビジネスの関係性から信頼関係を築いていくこともひとつですが、より大きな目的は、その商品が住民にとって新たな人間関係をつくるツールとなることです。自ら畑に出て作ったビールを、ともに働いた仲間同士で味わう。 そこから会話が生まれ、人と人との関係が生まれる。そうした場面を提供するのが、私たちの事業です。

物語をつむぐ

物語の始まる野老「ところ」

私たちのバックボーンには、所沢ゆえの物語があります。野生種のイモ「野老」(ところ)が多く自生していたのを由来として、かつて農産品の集散地として賑わった時代、所沢は「野老澤」と表記されていました。 そこから取った「野老」<やろう>の文字には、多くの方に所沢の風土と歴史に関心を持ってもらいたいとの願いを込めています。

流入二世の「ふるさと創生」

高度成長期以降に所沢に流入した世代の子どもたち「流入二世」。この世代は、ふるさと無き世代ゆえに、逆に地元意識が強く、所沢に「ふるさと」としての価値を求める傾向が共通しています。 この世代が地域社会の中心を担いつつある今、「ふるさと」に加えて、仕事や生活のフィールドとしての価値を求めるニーズは強まる一方です。加えて、流入一世にとっても、もはや所沢は腰掛けではなく、文字通り「骨を埋める土地」になりつつありますし、さらに現在の未成年世代にとっても、ふるさとの必要性は言わずもがなです。私たちは、こうした「ふるさと」の価値創造ニーズに応えていきます。

地域づくりの結節点

コミュニティ・ビール事業を展開することにより、私たちは自立した企業であると同時に、地域づくりの結節点のひとつとなることを目指しています。 私たちが存在することで、地域が協働と共感の人(ひと)つながりの輪で結ばれる。そんなあり方を目指しています。